人生はすでに決められている

 このことは30年も前からなんとなく感じてきて、そしてその検証をずっと行ってきたことです。
いや、これを正確に記述するとすれば「人生は生まれる前から自分で決めて生まれてきている・・・」という方が正確です。
 つまり人間は、この世に生を受けるにあたって、自分で両親を選択し、また生まれる家の環境を選び、そしてどういう少年時代を送り、どういう学校に入って、どういう教育を受け、どういった就職または仕事を選び、どういった伴侶を選択し、どういう死に方をするかということを既に選択して生まれてきているのだということです。わたしも昔その話を聞かされたときはたいへんな衝撃を受けました。
 誰しも「自分の人生は自分でつくるものであり、自分の努力で切り開いていくものである・・・」「努力すれば自分がどんな人間にもなれる・・」「人生が思い通りにならないのは自分の努力と忍耐が足りないためである・・・」などと教育を受け、その種類の話を際限なく聞かされてきました。特にわたしなどは団塊の世代の真っ只中に生まれ、小さいときから競争社会の中で、人より抜きん出るためにはどうすればよいか・・・」ということを懇々と聞かされてきた者にとっては、180度違う考え方です。
 しかし、ある経験から人生とは何か、人間の運命とは・・・などということに興味を持ち、宗教や古典、生まれ変わり、精神世界などの本を読み漁り、いろんな方の体験などを一貫して追及してきた立場からは、これは真実であると確信できるようになって来ました。
 「すでに人生は決められている」と言いますと、真っ先に誰しもの頭に浮かぶ疑問は「それでは努力なんかする必要はないんですか?」あるいは「それでは寝ていても大学に合格できるということなんですか?」などということです。
 わたしも初めて聞いたときは当然そういう疑問がわいてきましたし、それなりに受験に対しては、すべてのものを投げ打ってでもやってきたという思いのあるわたしにとっては「何のための苦労だったのかな」そんなことがあるはずがないという思いでした。しかし、よく考えてみると一生懸命勉強して希望の大学に入ろうと思って努力している人であれば「あなたが入る学校はもう既に決まっていて、それが最もあなたにとって最善の学校なのですよ。」といわれて勉強をやめる人はいないんですね。「あなたは大会社の社長になれることが運命的に決まっていますよ」と言われて努力をするのをやめて、寝てばかりいるような人ならば、大会社の社長になるような人生として生まれてこない、ということになるでしょう。
 しかし、この考え方を知るということは、本当に人生を楽にしてくれるというか、肩の力を抜かしてくれるというか、私には最大の恩恵となりました。「もう人生は決まっているのだから、いまさらくよくよしたりジタバタしたって仕方がないじゃないの・・・」「いま苦しくたって、もともと自分が選んできたことだし、それが結果的には自分にとって最善の選択だからそうしたんだ」と開き直ることが出来、それであれば、どんなことでも耐えられるような、人生の勇気がわいてきます。
 過去のいやなことも、この考え方に基づけば、なつかしい思い出になりますし、また未来に対する不安もなくなってしまいます。
 そして本当に大切なものは過去や未来ではなくて、今、この瞬間をどう生ききるかということのみになってしまいます。この瞬間瞬間を大切に生きていけば、必ず自分にとって最適な人生が送れることが確信できるということは素晴らしいことであると心から実感できるのです。

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