神様の気持ちについて

神様の気持ちについて
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/?no=1125より引用です。
さて、最近は寒波襲来とかで寒いですね。
来週からまた寒くなるみたいですが。 来週半ば、再び寒波 気象庁が注意呼びかけ
以下、昨日、コタツにくるまりながら考えていたことです。
例えば馬がいたとしますよね。
ヒヒーン。草原を駆け抜ける美しい馬。
ところが、馬同士でこの草場は俺の縄張りだから、ここを荒らしに来る他の馬どもは悪者なんだ。
そうやって大草原の中で馬同士で争っているとします。
神様はそれ見てどう思うでしょうか。
悲しむだけですよね。馬を作った創造主はただ悲しむ。
馬にとっての善とは何でしょうか。
それは、与えられた生命を輝かすことというか。
子馬として生まれ立派に成長する。そして草原を颯爽と駆け巡り、健康的な若駒としてつがいを作り、産めよ増やせよ。
ただ与えられた生命を全うし、嬉々として生きることですよね。
良くこのブログにああせよ。こうせよ。
いろいろ言ってくる人がいます。
例えば世の中に蔓延る言説。
こういう人が素晴らしい、ああいう人になりなさい。
これが正義だとか。これが悪だとか。
本当の神がそんなことを言うでしょうか。
人間は勝手にこういう人が素晴らしい、こういう人はダメな人。
手前勝手な理屈を作って、お互いに非難しあっていますよね。
正義、愛国心、忠誠心、愛社精神。人間の中にはいろいろな善と呼ばれる概念が存在しますが。
例えばあなたの家に泥棒が入ったとします。
勝手に人の家に入って物を取って行くのだからこの泥棒野郎!となるのは当たり前ですが。
しかし、これは私の物、これはあなたの物などと所有権を主張してるから泥棒が存在するだけのことですよね。
全ての物に所有権などなければ泥棒などこの世に存在しないですよね。
物がすべての人の共同所有物なら泥棒も警察も存在しないでしょう。愛国心だって国境がなければ愛国心など元からないですし、愛社精神だって会社という組織がなければ存在しない概念です。
悪や善など、勝手に人間が作った手前勝手な概念だとは思いませんか。
例えばです。
動物にはやさしくしましょう。弱い者には優しくしましょう。
それは確かに素晴らしいことです。博愛主義ですよね。
でも主義にしたとたんになんとなく嘘になるというか。
愛情を持っていきなければいけない。
感謝をしなければいけない。
愛情とか感謝とは心の底から湧きあがるもので人に言われてする話でもない。
まして標語やら主義にするものではない。
やさしさしくしなければならない。等々。
理屈で思っているうちは、あなたは本当はやさしくない。
心のそこから優しさ、愛おしさが溢れてくる。
本当はそうではないでしょうか。考えるのではなく感じるんだですよね。
別にワタスはそれは簡単だと思います。気づきさえすれば。
神様は、あなたはそのままで良いんですよ。そのままで良いのです。
神様はずっとそうやって見守って来てくれた。
何もかも無償で与えて来てくれた。
神様は全てを許している。
あなたの存在も許した。
あなたが勝手に悪と定義している存在も許している。
それなのにあなたは他人を許さない。そして自分も許してない。
あなたは今も生きてますよね。
今まで神様は太陽も、水も、食べ物も、土地も。花も木も。素晴らしい景色も。
全て無償。
ただ与えるだけの存在だった。
あなたをいつもいつも優しく見守ってくれた。
あまりにも優しすぎてあなたはその恩を忘れ我が物顔に振舞っても、
その土地をあたかも自分のもののように売買しても。
泥棒だの詐欺師だの勝手に理屈をつけて人と相争っても。
大地をあなたに踏みつけられても汚されても、犠牲になってもただ静かに見守ってくれていた。
あなたを見守り、あなたの生を喜んでくれた。
あなたはそのままでいいんですよ。やりたいようにやりなさいよ。
応援してますよ。
優しすぎてあなたは気づかなかった。
それに気づくだけで良いのではないでしょうか。
それに気づけば
ごめんなさい。ごめんなさい。
ただ涙が溢れる。
勝手な理屈でこの世界を汚してしまって本当にごめんなさい。
思い出すだけで良いのではないでしょうか。
ワタスは早くそちらに気づくことなのだと思っています。
本当にありがとうございました。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/?no=1125

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