真の祈り

「祈り」という言葉から想像するものは何でしょうか?

私達は祈りというと、お寺や神社で手を合わせること。お墓参りなどで手を合わせることなどが思い浮かびます。またそこでお祈りをする時に何を祈るのでしょうか?

祈ることは、「お金がはいりますように」「家内安全でありますように」「病気が治りますように」「受験合格など希望がかないますように」など、今自分にないものを、なんとか持てるようにしてほしいと祈っている方がほとんどかと思います。

しかし、これらのようなものを祈って得られるようにと思ってもそれらの望みが叶うことはありません。なぜなら、いくらお金が入ってくるのか、どの大学に合格できるのか。いつ最愛の恋人と出会えて、いつ結婚できるのか。自分はどの位の財産を築けるのか。病気になるのか、そして病気になるとしたら何時、どのような病気になるのか。などはもう生まれる前から既に決まっているからです。別のいい方をすると量子物理学的には、すべてのことは既に終わってしまった出来事であり、私達はそれらの終わったことを映画でも見るようにそのストーリーをスクリーンに投影し、それらを時間と空間という制限の中でなぞって経験しているだけだということです。

私達はすでに終わったことを時間の前に遡って経験しているわけです。すべては起こってしまっているのですから、この先どうなることだろうかなど不安を感じたり、心配する必要はないということであり、すべて起きることは自分のスピリットを高める出来事や感情しか起こらないと言うことですね。

全貌を見ることが出来ない私たちが、悪い出来事や失敗と思うような出来事も、すべて高次の力の恩寵なんです。ありがたいことですね。(本当は何も起きてはいないのですがここではそういうようにしておきましょう)

もし祈りが叶ったということがあったとしたら、一見祈りによって叶えられたように見えますが、それは初めから自分のシナリオに書かれていたからそう見えるだけなのです。

多くの人はお金儲けもしたいし、熱烈な恋愛もしたい。それが出来ない人生なんてなんてつまらないことか。と思ってしまいます。みんなドラマ,ストーリーが好きなんですね!

しかし、そのような現世利益を追い求めてもきりがありませんし、それらを得られたあとに残るのはむなしさや失うことの不安だけです。

もう既に起こってしまっているのならもう努力する必要はないのではないか、そんな人生はつまらないという人もいます。しかし、努力するからこそ起きることもシナリオの中にはたくさんあります。私達は生まれて来た瞬間からそういう記憶はすべて忘れてしまい、この先どんな人生が待ち受けているかということは忘れてしまっているので、将来に起きることは事前に知ることが出来ず、それらの出来事をワクワクしながら、あるいはすごい不安を持って、また大きな苦しみの内に悩み続ける経験などをするのです。これが時間というもののしくみですね。

この世に生きる99%の人は、自分に何が起きるかはわかりません。そして何かが起こったとしてもそれがどういう理由で起きるのかは人間にはわからないのです。しかし聖霊だけは終わったことの後から前に遡って見ることが出来るため、起きることの理由を知っています。

ですから私達にできることは、
・自分の身に起きることはいくら避けようとしても起きるのだから、そのシナリオに身を任せきること。
・すべて起きることを赦しの最大のチャンスととらえてゆるしを継続すること。
・赦しを行ったあとは、何者も期待したりすることなく、全てを知り尽くしている聖霊にすべてをお任せすること

これらのことが最も重要なことなのです。

「神の使者」にはゲイリーさんが高次の存在に教えてもらったという「真の祈り」について書かれています。

私も毎日この「真の祈り」を実践したいと思っています。これこそが奇跡のコースの真髄です。

【真の祈りと祭壇の瞑想】

今、あなたの目の前に、真っ白に輝くまばゆい光が差し込んできます。 その光は完璧に美しく、ふんわりと暖かく、癒しに満ちた光です。その光を体全体に感じます。その美しく、暖かい光が体にゆっくりとしみこんで行くのを感じます。

すると次第に、その光が空間全体に広がります。この光が満ちていないところは存在せず、 この光は永遠にここにあることを感じます。この光は永遠に私たちとともにいるのです。

しばらくすると、神の祭壇が目の前に現れます。どんな祭壇でもかまいません。あるいは祭壇があると思うだけでもいいのです。 この祭壇の上に、あなたがこの世界で幸せになるために手に入れなければならないと思っているものを全て捧げます。私たちが到達したい目標、健康、人間関係、身体の自分、お金など、私たちがこの世界で手に入れたいと思っているもの全てをこの祭壇に捧げるのです。物理的にそれらのものを諦めるわけではなく、心理的な執着を手放すのです。 あまり深く考える必要はありません、ただ手に入れたい、こうありたいと思っているもの全てをそこに置いてください。これは神への贈り物です。

すると、その祭壇は、次第に神の光の中に消えていきます。そして、だんだんと私たちも神の光の中に消えていくのを感じます。神の暖かく美しい光が、体にしみ込んでいくのを感じ、私たちがその光の中に消えていくのを感じます。

もしかしたら私たちは何かを諦めたように感じるかもしれませんが、今、私たちは神と同じ存在になりました。私たちは肉体ではなく、神と同等のスピリットです。私たちは何も諦めたわけではないことを知ります。なぜなら、代わりに私たちは、全てを手に入れたからなのです。私たちは制限のあるものを手放した代わりに、無制限のものを手に入れたからです。これは永遠に続くものです。永遠に神と一つです。神の愛が永遠に続きます。 これは素晴らしく、驚異的なまでに楽しい体験です。この体験の中で欠けているものは何 一つありません。なぜなら全てがここにあり、それらと私たちは一つであり、完璧だから です。 今神と一つになったことで、私たちは神と全く同じように創造されたことを悟ります。 神とは離れていず、神と全く同じだということを、喜びの体験の中で感じます。 これから静かに瞑想して彼と一体であることを感じる時間を設けますが、その前に、神に こう心の中で言いましょう。

「神さま、愛しています。あなたと全く同じように私たちを創造してくれたことに、深い 深い感謝を捧げます。私はあなたとはなんの違いもありません。天国にいて、あなたと本当に一つです。私に全てを与えてくださり、ありがとうございます。私たちを完璧なまで に面倒をみてくださり、ありがとうございます。ここに恐れはありません。この完全な 一体性の中には、欠けているものは何一つありません。私が今までに愛した人たち、動 物、全ての愛するものたちは、今、ここに私と一つになっています。私たちは、完全に一つです。私たちは別れていません。私たちは肉体ではありません。私たちは永遠に一つで す。神よ、永遠に一つであるという驚くべき喜びの体験を、ありがとうございます。私は、決してこれが失われることはないと知っています。私たちは、これからあなたの中に 消えます。そして、あなたと永遠に一つとなるのです。神様、心から愛しています。愛し ています。ありがとうございます。」 そして、私たちは消え、神と一つになります。

(五分ほど神と一体となってただけ感じる時間を設ける)


(引用:岡崎泰平の祈り)

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