OSHOの言葉、「この世はただのつくり話」幻想の世界
私が若い頃、バグワン・シュリ・ラジネーシの著書をよく読みました。その後改名してOSHOとして世界中に多くのファンがいます。「わかっちゃった人たち」などを読んでもOSHOの影響を受けた人はたくさんおられるようです。
そのOSHOの著書の中で、奇跡のコースとも通じる、「この世はただのつくり話し」という一節はいつも繰り返し読み返すほど気に入っていて紹介したいと思います。
この世はただのつくり話だという時に、幸福があなたに起こる。
生を映画としてとらえる
osho
この生すべてをつくり話として、物語としてとらえなさい。ひとたびあなたがこのように生をとらえたら、たとえ同じ生でも、あなたは不幸ではないだろう。
不幸は、深刻すぎることから来る。
7日間、試してみることだ。
7日間、ただひとつのこと――世界全体はただのドラマだ――を、覚えておきなさい。
するとあなたは、二度と同じではない。
たった7日間だ!
あなたはほとんど何も失わない。
なぜなら、あなたは失うものなど何も持っていないからだ。
この世はただのつくり話だという時に、幸福があなたに起こる。試してみるがいい。7日間、すべてをドラマとして、ただの映画としてとらえなさい。
この7日間は、あなたの仏性や内なる純粋さへの、多くの一瞥を与えてくれるだろう。
そしてひとたびあなたがその一瞥を持ったなら、あなたは二度と同じではあり得ない。
あなたは幸福だ。
そしてどんなタイプの幸福があなたに起こり得るか、あなたには想像もできない。
なぜなら、あなたはどんな幸福も知らないからだ。
あなたは不幸の程度しか知らない――時にはあなたはもっと不幸で、時には少し不幸だ。
そして少し不幸なとき、あなたはそれを幸福と呼ぶ。
あなたは、幸福とは何かを知らない。
あなたが知るはずはない。
世の中をそんなにも深刻にとらえる観念を持つとき、あなたは幸福とは何かを知らない。
この世はただのつくり話だという心構えに根づく時にのみ、幸福があなたに起こる。
だから、これを試してごらん。
すべてをとても陽気なやり方で、祝いに満ちて、
それぞれの「行為」を実際のことではないかのように行ないなさい。
もしあなたが夫なら、それを演じなさい。
夫の役を演じることだ。
もしあなたが妻なら、妻の役を演じなさい。
それをただのゲームにするがいい。
そしてもちろん、そこにはルールがある。
どんなゲームも、ルールが必要だ。
結婚はルールだし、離婚もルールだ。
でも、それを深刻にとらないように。
それらはルールだし、ひとつのルールが別のルールを生む。
離婚は不運だが、なぜなら結婚が不運だからだ。
ひとつのルールが、別のルールを生んだ!
でも、それらを深刻にとらえないようにしなさい。そしてその時、いかに直ちにあなたの生の質が変わるかを見るだろう。
まるであなたがドラマの一部を演じているかのように、妻や夫や子どもたちにふるまいなさい。
そしてその美しさを見てごらん。
もしあなたが役割を演じているのなら、
うまく演じようとするだろうが、あなたは邪魔されないだろう。
その必要はない。
あなたは役を演じ、眠りにつくだろう。
でも、それは役だということを覚えておきなさい。
そして7日間、継続的にこの心構えに従いなさい。
その後で、幸福はあなたに起こり得るだろう。
そして一度、幸福とは何かを知ったら、あなたは不幸の中に動いていく必要はなくなる。
なぜなら、それはあなたの選択だからだ。
あなた自身が生に対する間違った心構えを選んだせいで、あなたは不幸だ。
正しい心構えを選ぶなら、あなたは幸福でいられる。
ブッダは「正しい心構え」に、とても多くの注意を払った。
彼はそれを基礎に、土台にした。
「正しい心構え」――それはいったい何だろう?
その基準とは何か?
私にとっての基準は、これだ――あなたを幸福にするなら、それは正しい心構えだ。
客観的な基準はない。
あなたを不幸に、惨めにするものは、悪い心構えだ。
基準は主観的だ――あなたの幸福が、基準になる。
OSHOのタロットもクールデ本当にお勧めです。
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