飄々と生きる

漫画「課長、島耕作」で有名な弘兼憲史さんの「飄々と生きる」を読んでたいへん共感するところがありました。
 49歳という年はどういうわけか殺人などの犯罪や自殺が極端に多いそうです。これは50歳の壁が強烈に高いものであるとしか考えられないそうなのですが、50歳という境はそれほど人生にとって強烈なものなのでしょう。
 私も50歳を4年ほど前に越えてしまいましたが、一体その頃何をしていたのかな、また、50歳をこえるという感慨はどのようなものだったかと思い出だそうとしました。
 私の50歳は、大阪生まれの私がずっと東京に20数年住んできて、わずらわしい東京にあきあきして、また親の事情もあって故郷にどうしても帰りたいということで、大阪の支店に転勤させてもらい、初めて単身赴任をし始めた頃にあたります。子供が4人もいるために夢中で毎日を働いてはいましたが、潜在意識の中では人生の転換点であることを意識していたのかもしれません。
 我々の世代はいわゆる団塊の世代で、小さい頃から競争、競争の中で、必死に脇目もふらずに受験競争を勝ち抜き、必死の思いで就職し、国家や会社や家族のために闘ってきたたいへんな世代であったような気がしています。
しかし、私はこのような競争で出世階段を駆け上って行くような日常に疑問を感じ、名誉や地位、物資的なものの追求を放棄し、人生をドロップアウトして何とか精神的な生きる実感や、人生の楽しみを見つけてこようとしてきました。老子でいう「無為自然」を最大の人生哲学であることを実践し、それが無理なくできる飄々とした人生を送ってこようと努めてきたといえると思います。
また、宇宙の真理とは何か、人間や自然はなぜ存在するのかを追究していくくうちに、自分の人生や日常の出来事や未来はすべて自分の想念が作っていることに思い至り、自分の想念をいかに清浄なものにしていくかという試行錯誤を繰り返す連続でした。
今50を済んで振り返ってみると事業に失敗して米を買うお金もなかった日もあったり、信じた人や組織が自分の考えたようなものではなく、人生に絶望しかけたときもありましたが、家族や子供にも恵まれ、常に人の助けに救われ、本当にありがたい人生であったと思います。最初に就職した国家公務員でそのままいればうらやまれるような地位は得られたのかもしれませんが貴重な体験や、今あるような心の平安ややすらぎは得られなかったでしょう。
 弘兼氏のいわれるように人生は「まあ、いいか」「それがどうした」の2つ、さらにつけ加えると「ひとそれぞれ」の3語でスムーズにわたっていけるものだと言っておられますが、たしかに私も全く同様の人生哲学でこれまでの人生をわたってこれたのだと思います。
 他人の人生は良く見え、うらやむように思える場合も多いですが、人間の幸せや満足には学歴も、持っているお金も地位も全く関係はありません。どんな人にも悩みはあり、苦しみはあり、また楽しみもありまさに人それぞれです。
 私の今後の人生の運気は、晩年運の典型のような人生リズムであるようです。早くてあと4,5年10年くらい後からが人生に勢いがあって自然のリズムと調和し、最も良い時期を迎えるようです。老いてもますます壮んな人生が待っているのでしょう。
既に捨ててきた名誉や地位に全く未練はないですが、自由に海外などのあらゆるものに接し、肉体をまとった地球上でしか体験できない人生を精一杯楽しみたい、そのためには何をすればいいのか日々楽しく考える毎日です。

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