天界のバー

最近私はこのサイトの名前を「y-heart」から「天界のBar」に変えました。
「天界のBar」ってどういう意味なんだろうと思われる方もおられるかも知れません。
この名前はトム・ヤングホームというアメリカ人の書いた「天界の原理」という本に出てくる癒しのバーの名前から取ったものです。
 この天界のBarというのはどういうものか、この本の訳者のあとがきを参考にちょっとご紹介しましょう。
「何が欠けているのかはわからなかったが、彼は人生に物足りなさを感じていた。」ディガは40歳を前にして人生に立ち往生していた。????で始まります。
 ディガーは、情熱を傾けられる仕事をみつけることのできない自分のふがいなさ。幼い頃からずっと頭の中に聞こえていた音楽をそのまま楽譜に書き表すことのできないもどかしさ。互いを愛しながらもそのことを確かめ合えないまま、半ば自殺するように死んで言った父に対する怒り。息子を支配したがる母に対する、憎しみと愛情の混じりあった複雑な思い。恋人にさえ完全に心を開けない臆病さ。
 そういった彼の弱さが、事業の失敗や恋人とのすれ違いを招き、彼の心の隙間をじりじりと広げ、焦りを募らせていました。そしていつも夢の中に誰だかわからない暴漢が襲ってくる夢をみては怯えるのです。
 そんなディガーは、人生の軌道を修正するきっかけを求めていました。
 そんなある日、またとない大きなチャンスが訪れます。ハリウッドの大物監督が新作映画のために新人作曲家を探しており、そのオーディションにディガーも招かれたのです。しかしディガーはピアニストを目指してピアノの練習を繰り返してきたですが、いつもあるパッセージになるとつかえてしまい、その原因がわからずうまく弾けるかどうか強烈な不安が襲ってくるのです。その不安と期待を抱えながら、ロサンゼルスで開かれるオーディションに向かいます。
 そしてそのオーディションの直前、瞑想中に、彼はある不思議な場所を訪れます。その訪問をきっかけに人生が一変するとことになるとは知らぬままに・・・。
 「天界のバー」という看板を掲げたそこは旅を続ける魂の一時避難場所とも呼ぶべき場所でした。そのバーは自分が注文もしないのに、今自分が最も必要とするものを、最適なタイミングで出してくれる、気の行き届いたバーテンのサービスが最高の、素晴らしいバーでした。
 彼はそこで、魂の案内人たちに導かれ、宇宙の普遍的真理である「万有原理」を知ります。
 魂には物質、感情、知性、信仰の四つの要素のバランスが必要であること。人は、そのバランスを得るために地球という学校で学び、欠けているものを補おうとしていること。
 そして四つの要素のバランスが取れたとき、初めて真に満ち足りた人生を送ることができるのだということ・・・。
 オーディションが始まるまでのわずかな時間の間にディガーは宇宙の真理を学び、そして目覚めてオーディションに臨み、いつもつかえていたパッセージは全くつかえることもなく大成功を博することになるのです。また、いつも自分を脅かしてきた暴漢が実は自分の心の中の恐れというエネルギーガ現実化したものであることなどを悟るのです。
 私はいつもこんなバーに行ってみたいものだと夢見て来ました。また、自分も含めていろんな方々のそういったバーへの入り口の役割ができたらいいなと思っていましたので、この名前をつけることにしたのです。
 この本には何度読み返しても、その度に新たな発見があり、人生の奥義がいっぱい詰まった本です。
 最後にその中から素晴らしい一節を紹介します。
・・・君が気づいていようといまいと、責任を負うのはきみなんだ。きみ自身が全てを設計したということから始まり、それに続いて結果に対する全責任を引き受けようという意志が生まれる。両親や育った環境や学校や運命や他人に責任をなすりつけ、自分だけは責任を免れようとしている限り、バランスを欠いた状態は永遠に改善されないんだよ。
・・・・きみの人生に起きることはすべて自分が設計したことだ。きみの青写真なんだよ。きみのの作品なんだ。演劇になぞらえて考えてみよう。「聖なる現実」はプロデューサーであり、エネルギーの無限の流れを提供する。しかし、それ以外のすべてはきみに任されている。脚本を書き、自分の演じる役を選び、他の俳優を選び、照明、小道具、大道具を選び、同時にそういった全要素を、継ぎ目のない演劇としての旅あるいは冒険の中で調和させるべく演出するところまで。
・・・地球での人間の命は、次から次へと芝居を上演していくのと同じなんだ。その芝居一つ一つが生まれてから死ぬまでの人生に等しいのだよ・・・・・

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