森田健さんの不思議の友という雑誌に以下のような話が掲載されていました。
精神科の医者である神戸大学の中井久夫教授は、最初、西洋医学を学ばれ、それで患者を治療していました。
ところがある時自分が担当する患者の中から自殺者を出してしまいます。教授は悩み、そして考え出したのが以下にあげる「精神健康の基準」です。
これは入院病棟の患者さんに配布されました。そして自分の患者さんがこの状態になれば病気が回復したとして退院の許可を出すそうです。
・いい加減で仕事や追及をやめる能力
・いやなことは自然に後まわしにする能力
・できたらやめておきたいと思う能力
・一人でいられる能力、また二人でいられる能力も必要である
・嘘をつく能力
・いい加減で手を打つ能力、意地にならない能力
・しなければならないという気持ちに対抗できる能力
これらのことは私などもこれまで小さいときからやってはいけないと口をすっぱくして教えられてきたことばかりです。
特に今日できることは絶対に明日に回してはいけません。偉くなった人はすべて今日できることはすべてすぐにやることのできた人です、というようにずっと教えられてきました。
しかし、これに合格した患者からは自殺者は出なかったのです。そして社会に復帰して行ったのです。
これまでずっと生きてきて、完全主義者とは全く正反対の、いつも「まあいいか!」と考えてしまう私にとって、たいへん納得させられるところがありますし、このような余裕とゆとりが心の健康にはたいへん大事であると思うところです。

最近忙しく、日記を書くのをさぼっていました。
というよりも、楽天日記のブログに制約が多く、javaやCGIはもちろんのこと、HTMLも限られたものしか使えないなど、楽しみがなくて、他の人のブログを見ているうちにこの際MovableTypeのブログにはまってしまいました。
暇があるときには少しずつ色んなテクニックを持ってきてはMTブログを何とか納得できるものにと思ったわけです。
そこで知人のブログのバックナンバーリストをつくることから始めて、やっと自分でも納得できる知人の新ブログが誕生しました。できたブログはこちらです
JAVAを使ったり、またサイドテーブルの△印で折りたたむようなテクニックなどたいへん勉強になりました。
タイトル部分がまだまだ手抜きをしていてきれいなFLASHかタイトルバナーなどにしたいのですがなかなか時間がかかりそうでこれからとりかかろうというところです。

人間には生まれながらに経済的に豊かで何不自由なく育ち、大企業やオーナー会社などでのんびりと楽に暮らしているような人生もあれば、年がら年中忙しく、またこれでもかこれでもかというような辛い試練が訪れ、一時も落ち着かないように見える人生を送る人がいます。
私の人生は間違いなく忙しい人生の方に入るでしょう。私の場合は子供の頃から人生の岐路にあってはわざわざ自分で過酷な道ばかりを選んで人生を送って来たような気がします。
少・青年時代にも、公立の小学校から、高校から大学まで併設されたいわゆるエスカレーター式の私立の中学校を受験し、無事に入学できました。学校環境はたいへん素晴らしく生徒も豊かな家庭の人が多く、最高の環境で勉強にスポーツに没頭できました。しかし、この素晴らしい環境も3年もするとあまりにも恵まれすぎていて、このまま10年間もそこにいるのかと思うと耐え切れない思いになり、高校にあがる時には、わざわざ再度公立の高校を受験することにしました。外の高校を受験するということは失敗すればもとには戻れないわけですし、また大学に上がる時もまたまた受験をしなければならないことになります。
全く無謀というか冒険心にあふれるというか、自分でもすごい元気と発展心にあふれていたのだと感心します。
 大学院を出て、自分としては第一志望の国家公務員に、何度も難しい試験と面接を繰り返した末に、やっと採用が決まり、就職してからは土木技術の行政官として意気揚々と社会人として再出発しました。ここでは本省と出先機関の往復を常とするため、10年間の間に8回の転勤を経験するということにもなりました。
私の運命は、「動けば動くほど良い」「環境がめまぐるしく変わり、さまざまな場所、分野で経験を積めば積むほど能力的にも人間性も成長していく」という運命にあるといろんな方から言われましたし、古代の文献にも必ずそう書かれていました。専門的には東洋哲学では遷移星が大きい役割を果たしているとか、手相では太陽線、旅行線が卓越しているとか言われています。
 そういう意味では、自分が特に環境の変化が多いところでなければいけないという観点からわざと選んだわけでは決してないのですが、結果的に就職した省庁が転勤がやたらに多かったということも、自分の運命に大いにかなったものであったと言えるのでしょう。
 しかし、10年で国家公務員を辞めてしまい、またまた、わざわざ自分から安穏とした道よりも茨の道を選んだというわけで、どうしてこんなに環境の変化を好むのだと自分ながらあきれることもあります。
 その後は塾の教師や、某社の新規事業の企画室、環境に関する会社の設立など夢中で30代を過ご、ひたすら起業をすることに情熱をかけてきましたが、経済的な立て直しと家族を安心させるために再度土木系技術コンサルタントとしてサラリーマンにもどるしかなくなり、その後も3回も同業のコンサルタントを転職するなどまさに波乱に飛んだ生き方をしてきました。
 振り返ってみると最低限の経済性さえ確保できれば仕事の面白さ、自分の技術力アップになることと人間としての資質を高めることができるということを基準に、傍から見ればわがままし放題のような生き方をしたきたのですが、要所要所では、私の人生もこれまでかと思ったときにいろんな方の助けがあってここまで来れたのだという気がしています。今から顧みるといろんな方にもご迷惑をかけたのかもしれませんが辛くも楽しい人生だったと思っています。
 さてまた始めにもどりますが、この世に生を受けるということは、何か自分にふさわしい役割があって、またこの肉体を持った世界でしか経験できない学びをするために生まれてきているのであって、私のように辛い試練をたえまなく受けているということは学びという意味ではその課題が多いと同時に、その課題を他の方より早く、効率的にこなせるのではないかと考えています。
 のんびり平穏で豊かそうに見える人生は、一見良いように見えますが学びの機会は少ないと考えられますし、波乱に飛んだ人生というものは学びにとっては効率的な、濃縮された人生だと言えるのではないでしょうか。
 私などに比べて生きるか死ぬかということを何度も経験され、大富豪と貧乏のどん底を経験されたり、九死に一生を得るような大病をされたり、苦しい病気やハンディをものともせずに強く生きておられる方もたくさんおられますが、自分はそこまでの重荷を背負わされなくて幸せだと思うと同時に、そういった過酷な境遇を与えられても乗り越えていける人間としての強さに敬服せざるを得ません。
どんなものにも耐えられる強い人間性があるからこそ神も辛い試練を与え、早く肉体として生まれてくる経験をしなくて良いような、高度な精神性を実現するように恩恵を与えられているのだと感謝せざるを得ないのです。

あけましておめでとうございます。
昨年は甲申の年。私は思わぬ縁から転職をしたり、家内にとっては何十年来の夢であった本の出版が、本当にラッキーな巡りあわせから秋生真里(あきうまり、aquamarin)というペンネームで実現するなど色んなことがありました。
さらにうれしかったのは長男がどうしてもやりたい建築の道を進むという夢を実現させ、建築設計会社に就職し、社会人になって手を離れたこと。
また次男も厳しい就職活動をうまく切り抜け某オンリーワン企業に就職が決まったことです。今この時代会社に永久就職する時代では既になくなってはいますし、全ての人が本当に自分の役割は何か、本当にやりたいことはどういうことかを考えていくべきターニングポイントに立っており、会社にべったりと依存する時代ではないとは思いますが、従来型の企業に身をおいて長所や短所を経験する機会は社会人になる今しかない訳ですから、貴重なチャンスではあると思います。
今年は3男が就職活動をする年になり、またまた気を許せないことになりそうです。
今年の初日記がこの1月3日になってしまったのも、今年は東京にいる2人の息子、松本にいる3男、岡山で同居する末娘と我々夫婦と
何年かぶりに一堂に会することができ、ナポレオンといううトランプ遊びに徹夜も意に介さずに熱中していたのが原因です。
ナポレオンというのは本当に奥が深いゲームで、このナポレオンをみんなで楽しむことが一家の団欒と、笑いが絶えない家族としての大きな役目を果たしており、我が家の引き継がれるべき伝統文化(大げさですが)になれば楽しいのですが。
今年は乙酉の年、私にとっては社会に対する外向けの活動が前進力を増すときです。
もう子供達もそれぞれに一人前に頼もしく巣立ってきたので、今年からはさらに今後の自分自身の夢の実現に向けて再出発をしたいと思っています。

先日植物と対話をしたいという日記を書きましたが、その関連でインターネットを検索していると以前から興味があり、憧れていたフィンドホーンのことがたくさん書かれていました。
下に引用したのはそのうちのひとつです。
「1960年代、北極圏からほど遠くないところに位置する、北スコットランドのー寒村「フィンドホーン」の話が、欧米の新聞をにぎわせました。そこでは共同生活体が運営され、人びとが植物たちと交信し、すばらしい成果をあげているというのです。野菜園や花園は生き生きと活気に満ち、さまさまな植物たちが信じられないほどの生育を示しています。
例えば18キロもあるキャベツや、2m半もあるヒエンソウ、そして各種のバラが雪のなかで花を咲かせていました。記事を読んだポール・ホーケンというアメリカのジャーナリストが、その信じがたい話を確かめるために、現地へ行ってみることにしました。
生来疑り深い性格と自認する彼がそこで見たものは、18キロのキャベツどころではなかったといいます。およそ奇跡としが言いようのない現象が現実に起こっていたのです。(ポール・ホーケン「フィンドホーンの奇跡」日本教文社) 
行ってみてまず驚いたのは、その土地の状況でした。北海に突き出た半島のそこは、話の内容からイメージされる豊かな緑はほとんどなく、間断なく吹き荒れる嵐、小石や砂まじりのいかにもやせた土地で、村に着く途中には大きな樹木は見当たらず、ハリエニシダの潅木や鋭くとがった草が生い茂っているだけてした。荒涼とした殺風景なこんな場所に、はたしてエデンの園があるのだろうか? 
しかし現地に到着すると、また驚かされました。案内された花園にはマリーゴールド、アリサム、ロベリス、パンジー、ネメシア、羊毛のようなアップル・ミント、オダマキソウなどがー列に植えられ、いくつもの花壇にはどこにも花々がこんもりと豊かに咲き誇り、日光を浴びて美の饗宴をくり広げていたのです。
 ツクバネアサガオ、シルバーダスト、アスター、シオン、リビンクストン・デージー、ケシ、フウリンソウ、ヒエンソウ、クラーキア、ヘリクリサム、モンクシュード、ユーカリ、その他数多くの植物が、すでに肌寒い九月末というのに完壁に咲き誇っているように見えました。 
緯度からいえば、ここはモスクワやアラスカのー部がらさらに北に位置しています。しかしバラは道路をおおうばかりに満開で、2メートル近いコスモスには蜂が群れ、花々はネオンのように輝いています。 この花園からすこし離れたところに、時速100キロ近い強風に吹きあおられているにもかかわらず、強くまっすぐに立っている木々がありました。土地のかラマツ、エゾマツやハナミズキ、サンザシ、キングサリ、ユーカリ、ナナカマド、ポプラ、シラカバなどです。また花園と木々のあいだには、スイカズラ、アメリカマンサク、ハコネウツギ、ライラック、ツルバラなどの権木林がありました。
 
彼は花園のあちこちの土のなかを調べてみると、どこの土も、堆肥の下に六、七センチメートルほどの砂の層があります。まるで、海浜公園の中にある花園といえるでしょう。
 おそらく専門家や化学的権威は、この現象のナゾを解明できないかもしれません。」
この他にも
http://www.asahi-net.or.jp/~ey6h-wtnb/findhorn.htm
などいろんな記事が見つかります。
何度も映画を見ながらアイルランドやスコットランドの美しい風景を一度見てみたいと思っていましたが、これからはそういった世界中のあこがれの国々を巡り歩けるような環境作りをしていきたいと切に願っているところです。

 先日一人でオーリングテストができる機械がないかとインターネットを探していましたら、昔から気になっていた橋本健氏のホームページにその機械が載っていました。
 それと同時に、植物と会話ができる機械(http://www.alphacoil.com/4dmeter2.htm)も載っていました。このページでは実際の会話の様子がメディアアプレーヤーで聞くことができます。先日は人間の筋肉はたいへん優秀で、あらゆることを知っており、正しい判断ができることを書きましたが、それと同様植物も人間のように脳はなくても、すべてのことを知っているのです。これらの研究は、もう故人になってしまいましたが三上晃さんという方が「木の葉のテレパシー」「知られざる植物の超能力!! 」などに詳しく書かれております。
最近はサボテンなどにマッチを近づけていくと「暑い、暑い」と悲痛な叫び声を出すとか、愛情をかけてやると子供のように喜ぶということが言われていましたが微弱な波動で感じるだけで、耳で聞くことはなかなかできませんでした。それがいるかのようなかわいい声で植物がしゃべるのが聞けるということはたいへん魅力があります。
植物との対話を重ねて、訓練していくと植物の声が聞き取れるようになるそうですが、そこまで訓練するのはなかなかですね。
私の家族は昨年の6月に兵庫県、西宮から岡山市に引越してきましたが、そのときに神棚を作りました。両側に榊を祀ってお水もあげました。片方の榊は枯れてしまいましたが、もう一方の榊は全く枯れずにそのまま生き残り、台所に残しています。こんなことは通常ありえないことなので、家族は多分家の守り神さんではないかと思っています。
一度この榊さんの思いを聞いてみたいと思っていたのですが、この機械をつなげば、簡単に会話ができそうですね。しかし、この機械も相当高いので、機械なしで会話ができる訓練をしたいと思っています。

このところ出張が続き、一週間のうち1日2日しか会社にいないことが続いている。自分の性格として出張は大変好きで、いろんな場所でいろんなものを見ることが出来るのはありがたいことである。木曜日からは2泊で高知へ行ってきたがほとんど日本の中は歩きつくしたようでも、高知と松山の2県は行ったことがなかったのでたいへん興味深くわくわくしながら出かけて行った。
高知へはJRで出かけたが途中の大歩危、小歩危の急流地は素晴らしい景色でそれを見ることの出来ただけでも随分得をした気分になり大満足であった。
高知は坂本龍馬の出身地であることが最も興味深く、あの時代に脱藩をしながらも自分を顧みず、命をかけて自分の夢のために生き、大義に殉じた男らしい生き方、あの特有の方言にはあこがれもあった。
今回は建設関連の出展があり、毎日朝から晩まで会場に缶詰となり、来訪者の相手をしなければならないため、観光地めぐりなどといった余裕は全くないものの南国の息吹を感じられただけでもたいへん意義のあることであった。
夜は自由時間を少しでも高知の雰囲気や土佐の人間性をつかんでみようとホテルのまわりをうろついて見たが、さすがにお酒の好きな県民性であるのか、飲み屋街はにぎやかで、夜中遅くまでホテルの外からにぎやかな声が響き渡ってくるのには感心すると同時にそのおおらかさに思わず安心感が湧き上がってくるのを感じた。
この不況の中で給料も下がり仕事もきつくなる一方であろうとにもかかわらず、居酒屋がにぎわい、明るい声が聞こえてくるのは、まだまだ余裕が感じられ、ほっとした安心感と生きる元気を与えられるものである。今度はまたゆっくりと高知を訪れ、じっくりと龍馬を育てた風土を味わってみたいものだと思った。

将来ボケることのないようにと、2,3日前から速聴を始めました。
私が速聴に興味を持ったのは何年か前にさかのぼります。
10年ほど前東京に住んでいましたときに、速聴すると大脳のウェルニッケ中枢に刺激を与え、右脳が活性化するということを本で読み、一度試してみようと思ったのがきっかけです。丁度家に2倍までの速度であればキュルキュルとテープの早回しのようにならずに聞けるカセットレコーダーがありましたのでそれで試してみました。その時の効果のほどは全く記憶にないのですが、そんなにすぐに効果を云々できるようなものではなかったのだと思います。
その当時よく宣伝していたのに専用機械付の速聴マスターのコースがあって西新宿のビル内でのデモを聞きにも行ったのですがコースの金額が何十万とあまりにも高くてとても手を出すことができませんでした。
その後そういう理由で興味はあってもほったらかしになっていたのですが、最近は右脳開発の学習塾も経営しておられる七田真さんの本がよく書店でも目に付くようになりました。はじめから2倍速、4倍速にして録音したCD付の本が出ていますので試しに買ってみて聞くことにしました。
私の購入した本は「ガルシアへの手紙」の日本語訳の2倍速、4倍速、英語版の2倍速、4倍速が付いていているものです。「ガルシアへの手紙」は仕事をする人間があるべき姿勢や心構えをつづったたいへん有意義で興味深い文章で、それを繰り返し、2倍速、4倍速で読み、暗証するほど繰り返して読むことでたいへんためになるものです。
はじめは4倍速で話されると直前にしゃべった分と今話している分がごっちゃにダブるような感じで全く意味がわからないのですが、それから2倍速を聞きますとそれほど早くしゃべっているようには聞こえず、普通の速度ではさぞまどろっこしいだろうなと思わせるものがあります。
普通では聞き分けられないほどの速度で聞くことがたいへん右脳の刺激と活性化になるらしく、こんなに何もわからないのに本当に右脳は理解できるのだろうかと思ってしまいます。これも結局は普通に聞き分けられるということはどうしても左脳で聞いて分析しようとする処理が働くわけですから、普通では聞き分けられない状況で聞くことが必要だということでしょう。
 一番効果があるのは文章を眼で追い、耳で聞き、そして耳で聞いたのと同じ速度で口に出して言うことだそうです。
たしかに文章を眼で追うことによって、文章を見なければ4倍速ではほとんど聞き分けられないものが、8割くらいがついていけるようになるのは驚きです。
このように速聴による右脳の働き、眼で追い、口でしゃべる左脳の働きを同時に行うことで右脳と左脳がリンクされ連携が大幅にスムーズに行くようになるとのことです。
 確かに毎日少しづつやっていますと始めは全くわからなかった文章が、わかる単語が少しづつ増えてくる感じがしますし、気のせいかもしれませんが、普通の本やインターネットの文章を見ても大体の意味をつかむなど脳の処理速度がだんだんアップしてきているのではないかという感覚がついてきているような気がします。
速聴の効果の報告も適宜書き込んでいきたいと思います。

先週の土曜日冬ソナグランドフィナーレを見ました。
冬ソナを総括するのにふさわしくたいへん密度の濃い内容の番組だったと思います。

この番組にはユンソクホ監督も特別出演されていたのですが、冬ソナでもっとも訴えたかったことは何かというような質問に、この世の中では力の強いものがいい目を見るということが多いのですが、一見弱そうに見える、素直な者、純粋な者、正直な者でも勝利を得ることができるのだということを訴えたかったというような意味のことをおっしゃっていました。

私はこの言葉、またユンソクホ監督の人間性と優しさにたいへん感動しました。

ソクホ監督は仕事には大変厳しい人ですが、このようなすべてを愛で包み込むような大きな包容力と、色彩や小さな小物の演出など細かいところに気を配る繊細で細やかな気遣いがこのように日本中を感動の渦に巻き込んでしまうようなことができたのではないかと思いました。

今日もまた日経ビジネス誌の「有訓無訓」から、感動した話しをご紹介します。
オートウェーブの広岡会長の「損得より人とのつながり、寛容な父に学んだ商人道」です。
広岡会長がこれまでの人生で、何より大切にし、強い興味を持ち続けてきたのは「人」そのもの、つまり、どうしたらお客様に喜んでいただけるのか、お客様に喜ばれる社員をいかに育てるか、この2つを考えることに起きている時間のほとんどを費やしてきたとのことです。
そしてお客様に喜んでもらいたいと思うのはそれが儲けにつながるからではなく、1人でも多くの人に店に来てほしいからで、それ以上でも以下でもないのだそうです。
結局のところこの世は何が得で何が損かはわからないのですから、目先の損得を考えない方が結果的に仕事はうまくいくし、楽しく生きれます。機嫌良く1日1日を生きていくことこそが大切で、その手本になっているのは番傘作りの職人だったお父さんだそうです。
お父さんは小さな町工場を経営して、傘の他にも竹かごや竹刀の材料を売っておられました。ところが、取引先の中には、約束していた盆暮れの決済期限が来ても、代金を払わないところがあります。こちらの懐も決して楽ではないので、普通ならば「払ってくれ」と催促しなければならないところです。しかし、お父さんはお母さんがいくら心配しても「それでいいんだ」というだけだったのですが、すると2?3年経って忘れたころにお金を持った人が確かに出てくるということです。
 広岡会長も子供の頃はそんなお父さんの生き方を馬鹿にしていたのですが、自分が働くようになって「親父、実はすごいじゃないか」と思うようになりました。
 18歳でオートバックスセブンに入って全国の取引先を回っていると、人とのつながりがいかに大切かを身にしみてわかり、「損得は考えない方がいい。じゃあ、商売って何なんだ。」このようなことに思いを巡らせながら、自分にも親父の血が流れていると実感したそうです。
1990年に自分の店を開かれ、それ以降実践して来られたサービスはどれも「お客様に喜ばれたい。」という一心で導入してきたもので、常に未来を考えてお客様の心をとらえていきたい、と毎日精一杯それに取り組んでいるため今ぱたっと死んでも悔いはないのだとのことです。
 こういう会社の理念、哲学を何があっても実践していこうという企業は素晴らしいと思います。こういう言葉を聞きますと、いい加減なことばかりをしてきたり、従業員をまるでロボットのように扱ったり、儲けるためには手段を選ばずと言ったような会社の話しばかりが話題になる中、日本人そのものまた日本の会社ももまだまだ捨てたものではないと心強くなってきますね。